ゼノシリーズにおける共通のテーマ性・グノーシス主義について①
タイトルでわかる通り、いきなり超めんどくせぇ考察話をしたいと思います。
ただこのテーマはいきなり初っ端にやるには非常に長いため、数度にわけて投稿したいと思っています。
ジャンルとしては思いっきり宗教学の話になります。
おおまかに、概要編と内容編と考察編の3つに記事を分けられたらと思っています。
ゼノにおいてのグノーシスといえばもちろんゼノサーガのアレですよね。
他にもゼノブレイドのヤルダバオトなど、時折名前が出てくるので数十年ゼノに齧りついているのなら、この言葉自体は誰でもわかる話だと思います。実はヤルダバオトはゼノサーガにもいます。
ですがネット上を見ると、案外未だにゼノに絡めてしっかりとした解説をされている方は数える程度なほどに少ないので、自分の方からも改めてまとめて解説をしてみたいというのが当ブログ最初の目標となります。
グノーシス主義そのものについての概要は、導入には何故かニコニコ大百科とpixiv大事典がわかりやすいです。特にニコ百。Wikipediaよりも。
グノーシス主義とは (グノーシスシュギとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
グノーシス主義 (ぐのーしすしゅぎ)とは【ピクシブ百科事典】
この記事を読んだ事のある人ならば重複部分も多いと思いますが私はゼノに絡めたお話をするために、なるべく歴史などに苦手な人にもわかりやすいように、噛み砕きつつ意図的にかいつまみながら概要を説明したいと思います。
はてなブログを利用したのは固有名詞に自動でリンクがついてくれるので、その辺りの説明がたびたび省けそうだからだったりします。
何故いきなりこのようなお勉強的な説明をするかというと、使っている用語だけを雑に説明するよりも結局は後々役立つからです。私が歴史ネタ宗教ネタ好きというのは否定しませんが。今回出てきた用語は、グノーシス主義の説明だけに限らず使う可能性があるということです。
なので、今回はそういうお話ばかりになってしまいます。ゼノの話になかなか入れない…
そっち系のネタに縁がなかった人にはパルスのファルシのルシがコクーンでパージになってるので、長文が読めない人のために先にめちゃくちゃ簡単にまとめます。
1.アレクサンドロス大王がヨーロッパとオリエントの垣根を破壊した (ヘレニズムの始まり)
2.以後東西の宗教や思想・文化が混ざったまま、キリストの誕生とかなんやかんやあったがとにかくローマ帝国が最盛期を迎えた
3.そんな時世が後押しして、被支配者層の大衆の、多くには主流派キリスト教(のちのカトリック)、一部にグノーシス主義が流行った
4.グノーシス主義はそんな時代の人々の厭世観…つまりは「この世はクソ」という感情が第一前提にある
5.西のグノーシス主義はその後ローマ・カトリックによって異端扱いとなって消えた
6.現代になって史料研究が進んだらグノーシス主義は実は東(オリエント)にもあることがわかり、それもめちゃくちゃ沢山あったので改めて定義付けをした
7.その定義の3点の概要
下の文章はだいたいこんな感じです。
↓↓↓「OK、充分だ」って人は概要まで飛ばしちゃっていいです。↓↓↓
グノーシス主義の概念の起こりはどうやら紀元前から発生しますが、イエス・キリストの誕生を経て、紀元2世紀の特に後半に流行、4世紀頃から衰退します。そしてそれは、初期キリスト教の広まりと密接に絡んでいます。
ですから、グノーシス主義と初期キリスト教はある程度同時並行して説明していきます。
初期キリスト教とは、イエス・キリストの死後から、ローマ帝国からは異教と見做されており国教ではない頃の事で、また、新約聖書も完成はしていない頃を指します。
グノーシスとはギリシャ語で「知識」「認識」の意味から派生した言葉です。
ですから、非常に理屈っぽいです。主知主義とか知性主義という奴です。
グノーシスの定義について話す前に、まず当時の背景から長々と説明する必要があります。
世界史的な背景を話すならば、
始まりは紀元前4世紀末にアレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシャを征服し、インドまで攻め込み、広大なオリエント地域を征服した事です。
オリエントとは、簡単に言うと東地中海沿岸地域…トルコ、シリア、ヨルダン、イスラエル、エジプトとメソポタミア…イラクや、ペルシャ…イランのことです。ギリシャ文化とオリエント文化の融合が起き、ヘレニズム文化が発生しました。ヘレニズムとは、ギリシア風という意味です。中学か高校で習ったと思います。
その後は、人によっては怒られそうなくらいメチャクチャアバウトに飛ばして話しますが、ローマのギリシャ征服とイエス・キリストの誕生をはさみつつ、その後もなんやかんやあって紀元2世紀あたりのローマ帝国の時代です。
初期キリスト教やグノーシス主義が広まり始める紀元2世紀となれば、いわゆる五賢帝の時代であり、これは特にローマの最盛期と言われ後世ギボンが「人類史上もっとも幸福な時代」「パクス・ロマーナ」と呼んだ時代です。
キリスト教が公認・国教化するより前の時代です。(国教と認められるのは西暦380年。この頃急激にキリスト教は広まる。)
文化思想的な話をするならば、ローマ時代であってもヨーロッパは未だギリシャ文化、つまりヘレニズムを中心に動いています。
ローマは武力でギリシャを征服しましたが、建築様式だとかローマ神話とギリシャ神話の共通性に顕著に見られるように、文化や思想上ではローマ側がギリシャに染まるという皮肉な流れがおきました。
ギリシャとい言えばアテネやスパルタ、あるいはマケドニア、テーバイといった場所を思い浮かべると思いますが、
ヘレニズムに焦点を当てて考えるのならばアレクサンドロス大王が征服後建設したエジプトナイル川下流域の都市・アレクサンドリアを欠かす訳にはいきません。世界の結び目と言われ、ヘレニズム文化の中心地でありました。
キリスト教観点で言えば、のちの五大総主教区の一つアレクサンドリア教会のある場所です。ゼノには関係ないのであまり触れませんが、これらの事もグノーシスに関連しています。
こういった数百年の長きにわたっての超大国の進退と、アレクサンドロス大王とローマがもたらしたヘレニズムは地中海世界とオリエントの両方に影響を与え続け、政治、戦争、難民、奴隷、貿易、様々な理由で民族と思想の流動が発生し、各地の文化思想がごちゃまぜになります。
具体的には、ギリシャの神話と哲学、元々アケメネス朝ペルシャが国教にしていたゾロアスター教、イスラエルのユダヤ教と、エジプトの多神教やミイラに見られるような死生観といったものです。
このように宗教観が溶け込んで混ざり合う事を、シンクレティズムといいます。
ローマ帝国というものは元々歪な人口比をしており、ローマ市民1割に対して奴隷や属州民といったその他の労働生産階級・被支配者層が9割を占めています。
ローマ市民が信奉するユピテルやジュノーやミネルヴァなどのローマの神々やイシス・ミトラ・キュベレーに代表されるローマ化されていく各地域の東方の神々のほか、属州民であるユダヤやエジプトの宗教もありますが、エルサレムの神殿は破壊され多くのユダヤ人が離散するし、エジプトの多神教は衰退していきます。
残りの人々は大多数でありながら政治的に弱者であり、それらを信奉するほどの民族的アイデンティティが薄いため、心の拠り所においても苦難の時代でありました。(言語上の問題とも言われています。簡単に言うと、ラテン語ヘブライ語喋れない。おまけに離散ユダヤ人であるとしたら、都市にいるならばギリシャ語を喋りギリシャ的生活に順応しなければならない。)
そのためにそういった人々を受け入れるオープンで広範な救済と、当時の宗教学者や哲学者の研究や布教活動と文化的順応によってキリスト教は広まり、それゆえ帝国に何度も迫害され、ついには認めざるを得なくなり国教化する。そんな時代の事です。
そんな時代は多くの人々からすれば「この世とは一体なんなんだ…?」という事を考える大きな機会だったわけです。パクス・ロマーナは、すなわち超大国による国境線の安定です。
文化と人々の流出入はどこもかしこも違う神話・死生観・哲学、そしてそれに基づく信仰があることを知らせてしまったのです。それらによって生まれた恩恵はメリットもデメリットもあるわけですが、彼らにとっての一番は平和によって考える時間が増えたというのが大きいのでしょう。
多くの人々は万民を救済する度量があるキリスト教の主流派、のちのローマ・カトリックに目ざめてゆきますが、中には「この世はクソ」という厭世観に突き動かされた人もいました。
そこでキリスト教の神学者達は「どうしてこんな辛くて矛盾だらけのおかしな世界に生きているのか」という問いに答えるために、今ある判断材料…洋の東西の全てを取り込み新たな世界観を作り出しました。それがグノーシス主義というわけです。
ですから、考え方のベースには今現在のような国境線に縛られない、それらの広範囲の地域の特色が含まれています。それが考察が面倒でかつ歴史ロマンに溢れた魅力的な理由でもあると思います。
ギリシャ哲学、特にプラトン哲学、新プラトン主義、ゾロアスター教、オルペウス(オルフェウス)教、ユダヤ教、エジプトの神々の信仰などなど…全ての影響を受けています。
これらの風潮は最初からグノーシス主義と呼ばれる集団がいたのではなく、あくまでも初期キリスト教の中で行われていました。最初から分裂していたわけではなく、初期キリスト教の中の一部に、グノーシス的な考えを持つ神学者がいたということです。
そして、だんだんとグノーシス主義は特殊な考えを持つ少数派集団という扱いとなり、主流派となるキリスト教からは枠の外へと追いやられていきます。
グノーシス主義者は「この世はクソ」という感情にまみれているという事は覚えておいて下さい。この「この世はクソ」というのは…ゼノ考察においても何もグノーシス主義に限った事ではないので。
そして、特にここで挙げたいのはプラトン哲学。これについても、後々またお話したいと思っています。
このような流れを踏んでいるために宗教学問的にはつい最近まではグノーシス主義ないしグノーシスとは、特にカトリックから見て紀元2世紀前後のキリスト教の異端を指す意味、と考えられておりました。
それほどまでにグノーシス主義はその後正統派となる特にキリスト教から見れば異端の学問となります。主に次回に説明していきますが、そりゃそうだろうといえる内容です。
異端であるがゆえの糾弾・迫害も原因ですが、むしろ恐らくは社会的風潮の変化によって、神学者からも大衆からも流行自体が終わった事によって自然消滅して、4~5世紀には廃れ、多くの書物が現在では紛失してしまいました。
ところが1945年にエジプト南部のナグ・ハマディという場所で「ナグ・ハマディ写本(ナグ・ハマディ文書)」という文書が発見され、これにより初期キリスト教並びにグノーシス主義の資料研究が進み、
どうやらグノーシス主義は同じ紀元二世紀ながらも、非キリスト教グノーシス主義も様々存在するから現在で言うところの主流派(のちのローマ・カトリック)のキリスト教の枠に括るのもおかしい、独自の思想風潮であるという事がわかっていきました。
おおまかに分類すれば確かに西方グノーシス主義と東方グノーシス主義に二分出来ますが、それはただの分類でしかありません。また、厳密に言えばグノーシス的であるという程度のものも含まれます。
西方グノーシス主義とは、のちのローマ・カトリックから見て異端なキリスト教の一派すべて。キリスト教的グノーシス主義。
ウァレンティノス派、バシレイデース派、マルキオン派など。中世以後も発生しては消えたことがある。(カタリ派とボゴミル派。)
ゼノ考察において重要なのは最も勢力を伸ばしたウァレンティヌス派です。
東方グノーシス主義とは、各東方地域におけるグノーシス主義、グノーシス的観点の存在する宗教。またはその一派。
なのでユダヤ教的グノーシス主義やイスラム教的グノーシス主義も存在する。セツ派、ヘルメス主義など。マニ教、マンダ教などはかろうじて現存する。
ペルシャのゾロアスター教、メソポタミアやエジプトの神話や死生観の影響が強い。ヘルメス主義に使われたヘルメス文書はナグ・ハマディ文書発見までは重要視された。
といった感じです。
ゼノにおいてゾロアスターといえば、開祖であるザラスシュトラ、英語読みでゾロアスター、ドイツ語読みでツァラトゥストラという名は聞いた事があると思いますが、今回の話とはアレとはあまり関係がないです。そのうちやりたいですけど。
↓↓↓ここから概要なんで、飛ばした人はここから読みましょう。 ↓↓↓
研究が進むことで西方にしても東方にしても大量に諸派が存在し、時代も場所もばらばらであることがわかりました。しかも中には、現存するマニ教・マンダ教などまで含まれています。それにも関わらず共通点も多い。
そこで1966年イタリアのメッシーナ大学でグノーシス主義の学術的な定義を改める提案がされます。これが「メッシーナ提案」といいます。それによって3つの特徴をグノーシス主義的特徴であるとおおよそ定義つけることとなりました。それが、
1.反宇宙的二元論
2.人間の内部に「神的火花」「本来的自己」が存在するという確信
3.人間に自己の本質を認識させる救済啓示者の存在
となります。
具体的な内容については概要ではなくしっかり次で説明したいと思いますので、今回は触りだけ。
1.反宇宙的二元論
の宇宙とは、ギリシャ哲学における宇宙観の事であり、ピタゴラスが初めて使ったそうです。宇宙は秩序・調和のある状態であるという考え方であり、kosmosといいます。対義語を混沌=chaosといいます。
…はい。やっとゼノの話に近づいてきましたね。
グノーシス主義はとにかく「この世はクソ」という厭世観大前提の元にあるため、そんなギリシャ哲学において秩序とされている神の作った宇宙=kosmosは否定する側の立場にあります。ですから、反宇宙的です。
つまり、「秩序というが秩序なんかどう見ても無いじゃん?この世界どうなってんだ?」
それを説明するためにグノーシス主義者は、「我々が知覚している宇宙(kosmos)とは偽の造物主が創造した偽の世界であり、人間の大部分もその偽の造物主が作った。真の創造主たる至高神のいる世界はそれより更に上位世界に存在する」と考えています。
偽の造物主とかなんぞや?でしょうから、この部分については特に次回しっかり説明します。まぁとにかくそういうものだと思って下さい。
まずその(彼らから言わせたら)世界の真実、この世は偽の世界、それを知覚する事が大事なので、グノーシスとはギリシャ語で「知識」「認識」…というわけです。
2.人間の内部に「神的火花」「本来的自己」が存在するという確信
とは、人間は、劣悪な造物主に創造されたが、人間の内部には至高神に由来する要素がわずかに閉じこめられている。というものです。前段の「人間の大部分もその偽の造物主が作った」、という所の対照になります。
グノーシス主義では偽者の造物主が人類を構成する2つの部分…魂的なものと、物質的なものを作ってしまったが、唯一、霊的なものだけは真の神である至高神による創造物で構成されていると考えています。
ですから、このクソのまみれた世界からは物質的なものも魂的なものも捨ててさっさと抜け出して、その霊的な部分だけで、至高神とその下に存在する神的な存在、アイオーンのいる上位世界「プレロマ」へ行こう、と考えました。 小惑星じゃないです。
これを目標とするためにまず「知識」「認識」することから始めよう。という事です。
余談ですが「プレロマ」と我々が存在する物質世界の間の中間世界を「アカモート」といいます。なんだかどっかで聞いたことがある言葉がいくつかありますね。
3.人間に「本来的自己」を認識させる啓示者・救済者の存在
とは、ではこういった世界観をどうやって「知識」「認識」するか?にあります。グノーシス主義は決して神を否定したり、この世に絶望しただけで終わりたいわけではないので、人々の解決手段も考えます。
それの答えが救済啓示者です。西方グノーシス主義においてはもちろんイエス・キリストがその立場にあります。
このイカれた世界から人間の魂を神の世界「プレロマ」へ連れて行くために、神が遣わせた救世主の存在というのが、我々を救う手段というわけです。
ギリシャ語由来で救世主のことをソーテールといい、ゼノサーガ的にはドイツ語で読んでザルヴァートル…となるようです。
この3つの定義を国際的に学会で決めた事で、それら共通要素をもってグノーシス主義であるとか、グノーシス的であるという見方が出来るようになりました。
「知識」「認識」という事をとにかくこれでもかというくらい重要視するので、グノーシスと呼ばれるわけです。言葉を変えればまぁ簡単に言うとわかりづらいわけですね。そりゃ主流派にはなるわけないです。
そして、ゼノの持つ世界観も、多くの部分においてこの3つの共通要素をもってグノーシス的である…と、言ってよい。と私は考えています。ゼノシリーズはグノーシス的である。というわけです。
ですが、その部分に入るには、まだまだ前提となる説明がまだ足りていません。
なにせ今話したことはグノーシス主義の誕生経緯と、定義とその概要だけです。今度は具体的な神話部分に入っていきます。
西方グノーシス主義の最も大きな派閥であったウァレンティヌス派の神話、智慧の女神・ソフィア(ソピアー)の神話。これをなくしてゼノは語れません。
ゼノサーガはお好きですか?ある程度以上お好きなあなたならこれだけで「あ~~」となるはずですし、メチャクチャ好きで考察大好き…というあなたなら「「もう あきたよ」というものばかり」だと思います。やったことがない?忘れた?まぁ…うん。
その辺りは本当にプレイヤーごとの隔たりが大きいと思います。まあ、15年も放置プレイを受けてしまったために、それくらいにゼノサーガ難民は先鋭化してしまっているので、こういった余談的知識量の差の激しさみたいのは相当あると思ってます。
その差がこのブログで埋められたらいいなぁ。とか思ってます。
この辺りで、今回は終わりたいと思います。
参考文献
講談社『グノーシス (講談社選書メチエ)』筒井賢治著 2004
春秋社『グノーシス主義の思想―”父”というフィクション』大田俊寛著 2009
ぷねうま舎『グノーシスと古代末期の精神 第一部 神話論的グノーシス』ハンス・ヨナス著・大貫 隆訳 2015
ぷねうま舎『グノーシスと古代末期の精神 第二部 神話論から神秘主義哲学へ
』ハンス・ヨナス著・大貫 隆訳 2015
新教出版社『キリスト教とローマ帝国 小さなメシア運動が帝国に広がった理由』ロドニー・スターク著・穐田 信子訳 2014
せっかくなのでどんな本なのかは、グノーシス主義について一通りまとめ終わったら紹介したいと思います。